ふと思いついたけど、スピリチュアルってディズニーランドに似てる。
どちらもファンタジー要素が多い。
ミッキー、ミニー、ドナルド、プーさん、、、
龍、天使、妖精、神さま、、、
そんな風に置き換えるとわかりやすい。
ディズニーランドにお金を払って行く、、、
なんのため?
夢を買うためだ!
大人でミッキーが実在すると思う人は、ほぼいないだろう、、、でも、そんな私たち大人でも、ディズニーランドでミッキーに会えるとワクワクする。その中身が誰か?に関係なく、出会うと嬉しくて一緒に写真を撮りたくなる。
スピリチュアルも同じではなかろうか?
龍がいる(ように思った、と言われた)ら、ウキウキする、写真を撮る、それが雲のたまたまの形でも関係ない。
自分がそう思えば、それに誰かが賛同してくれたらさらに!ワクワクは止まらない。
でも、よく考えてみると、、、
ミッキーもミニーもドナルドもプーさんも、私たちに何もしてはくれない。
龍も天使も然りだ、、、と思う。
だけど、どちらも夢を与えてくれる!
ディズニーランドにまた行きたい、、、と思わせてくれる。そして、そのために頑張ろう、、、と思える人もたくさんいるだろう。
スピリチュアルも同じようなイメージだ。
龍でも天使でも、なんでもいいが、それらは何もしてはくれない。
だけど、夢はくれる。
龍が見えたからラッキーなことがあるかも、、、
龍や天使が守護についてる、、、
なんだか、やる気と元気が出るのではなかろうか?
まさに、元気・やる気・井脇!である。
ポイントは、それをどのように使うか?自分が受け取るか?だけである。そこに依存が発生するのは好ましくないが、元気とやる気をもらえる、依存ではない関係であれば良い気がした。
でもミッキーが私だけを見てる!とか、ミッキーと5回目が合った!などと、あまりにも現実離れした妄想の世界に入りすぎると危ない気がする。
スピリチュアルもそれがやる気に繋がるうちはいいのかも。現代のスピリチュアルの問題点は、依存性にあると思う。
ミッキーはあなたに現実的には何もしてくれない。龍も天使も、、、でも、夢はくれる。ディズニーランドは一歩出たら現実であるが、スピリチュアルは夢と現実の境目が非常に曖昧である。
ゆえに、なかなかファンタジーに気付けないのかもしれない。
考察は続く。